2011.03.11 Friday

ええー。今回は前回の続き。
KELLY & KELLYの後編です。
ちょっと前までイラクに居た、
GIカットの軍人さん(イケメン)が、
入れ代わり立ち代り来店するという、
非常にお忙しい中、
KELLY AND KELLYのオーナーであります、
ケリーさんからお店のことやあれやこれや、
お伺いさせてもらうことが出来ました(感謝)。
まとめ下手なので若干長くなってしまいましたが…
福生ならではの中古車屋さんの知られざるヒストリーを、
ほんの一部でありますがご覧くださいませ〜。

「小樽の方で魚雷にあって爆発しちゃったの」
ーーお店をはじめられたのはいつ頃なんですか?
1967年からだから今年で44年。
お店をはじめて3年後に主人が亡くなって、
それからは娘5人を育てながら私1人で。
ーー母強し…
主人は車を売るには保険が必要だからって。
まず代理店を先に作って。
お客さんに必ず言う言葉があるんだけど、
「ここはワンストップショップ」
保険からレジストレーションから、
全てやりますよって。
だからお客さんは何もしなくていいの。
保険もここで買えるし。
あっち行ったりこっち行ったりしなくて済む。
もともとそれではじめたんだよね。
ーーへぇ〜
主人はこのベース(YOKOTA)をリタイヤしたわけ。
除隊して、その時5人の子供がいたでしょ。
で、これからアメリカ行って仕事するって言ってもなかなかないから。
「だから自分は車屋さんをはじめたい」って。
みんながアメリカから来たときに、
車買うのもどこで買ったらいいか、
そしてそれを車検場に持っていって車検を通したりする、
そういうことがわかり辛いだろうっていうんで、
「じゃ、自分がそれをやろう」って言ってやりはじめたの。
それがきっかけでお店を開けたんだよね。
ーーところでいきなり話が飛んじゃうんですが…
ケリーさんのご出身は福生なんですか?
私の生まれは岩手なんですよ。
それで育ったのが樺太なの。
ーー樺太から福生ですか?
私たちは終戦翌日に引き上げてきたの。
で、その次の日に引き上げた人たちは、
小樽の方で魚雷にあって爆発しちゃったの。
だからね、知り合いの人も死んじゃったよ。
私たちはその前の船だったから助かったのよ。
ーーおおおお。
危機一髪よね。
本当は死んでても不思議じゃないんだよ。
だから子供5人育てながら、
学校やりながら、難は全部克服して来てるの。
負けない。絶対自分に勝って行くって。
死にものぐるいでやったら何でも出来るよ。
死ぬんじゃないんだよ。
ーーはい。
いっぺん死んでるんだよ。本当はね。
その魚雷の船に乗っていたらね。
ーーは、はい。
でも命があってここまで生かしてもらってるっていうことは、
…凄い最高なことだよね。

「出会いはフィンカム。ジャス、ファール、ミー」
ーー魚雷を潜り抜け降り立ったのが福生だったのですか?
それから立川の基地で働いていたんだよね。
そこで主人と知り合ったのよ。
昔ね、立川にフィンカムっていう米軍基地があったの。
今昭和記念公園になっている辺り。
全部立川の基地だったの。
ーーふむふむ。
そこで働いていたときに、
セクションの一番上に来たのが主人でね。
そこで知り合って結婚したの。
だけどあの当時、英語もそんなに喋れないし、
結婚しようって言われたときに、
食事の作り方もわからないし。
昔は今みたいな食事じゃないからね。
日本の食事とアメリカの食事と、
凄いギャップがあるときじゃない?
だから何も出来ない、って言ったら、
「ジャス、ファール、ミー」
自分に付いて来たらいいよって。
ーーおお〜。
そう言われて。
かっこいいよね。
「ジャス、ファール、ミー」
ーーうす。一度は言ってみたいっす。
それから5年間アメリカに行って、
日本に帰って主人が最初に勤めたのが羽田。
羽田も軍関係の施設があったのよね。
それから立川に行って、
で、立川からここYOKOTAに来たの。
ーーほう〜

「あの病院は基地のゲストハウスだった」
娘さん(以下、娘)
今日はここまでどうやって来たんですか?
ーーえっと東福生駅からとぼとぼと。
でも今考えてみると箱根ヶ崎駅のほうが近かったですかね?
ケリーさん(以下、ケ)
うーん。おなじくらいかなぁ。
娘:東福生から来てYOKOTAの塀がはじまるところ、
あそこにKELLY & KELLYがあったの。
ーー塀がはじまるところ?
娘:16号に出てきて歩いてきたじゃない?
ーーはい
娘:で、病院が左側にあるでしょ?
でそのまま歩いてくると基地があじまるじゃない?
ーーはいはいはい。
娘:その基地がはじまるところにKELLY & KELLYがあったの。
今の住所は瑞穂なんだけど元々は福生でお店をやっていたのよ。
ーーへえ〜。
ケ:あの目白第二病院の隣に、
いまマンションみたいなのが建ってるんだよね。
そこがうちの場所だったの。
ーーほぉ〜。
ケ:火事になって出たんだけど。で、ここに移って来たの。
娘:昔はあの病院だって基地のゲストハウスだったんだよね?
ケ:そうそうそう。
娘:カフェテリアもあったし。
ケ:それが病院になったの。
娘:お菓子とかを買いに行ったの、今でも憶えている。
建物もあのときのまんまだよね?
多少足されていたり、
色とかも全然違う色だったけど。
ケ:アメリカの人のゲストハウス。
アメリカから来る人たちが泊まるところが無いじゃない?
あそこをゲストハウスに使ってたの。
ーーへぇ〜初耳です。
娘:あとアメリカンハウスももっといっぱいあったよね。
今はどんどん潰して他の家を建てているけど。
ケ:土地が広いんだよ。アメリカンハウスはね。
娘:1個潰すと2、3軒建っちゃう。
ケ:野原がいっぱいついててね。
今はもう土地なしのギリギリだもんね。
ーーやっぱりハウスとかにも遊びに行っていたのですか?
娘:うちが住んでいたのもハウスだったもんね。
ケ:そうそうそう。
娘:隙間風がいっぱいで寒かった(笑)。
ーーそのハウスはまだ残っているんですか?
娘:うちが住んでたハウスはもう無いし、
その近くに住んでたお友達のハウスも無くなっている。
ケ:もうだって45年っていったらねぇ。
娘:それでもまだ建ってるのあるけどね。

「でも大丈夫。なんでも出来る」
ーーいや〜今日は突然お邪魔したにも関わらず…
お忙しいところどうもありがとうございました。
貴重なお話が聞けて嬉しかったです。
ケ:まぁ私も年齢的にさ、今年80になるんだけど。
あと10年はがんばろうと思って。
ーーぼ、僕もがんばります(何かを)。
ケ:命の続く限り、使命のある限り。
常にね、自分に勝つことね。
それで毎日健康でさ、感謝の日々。
ーーでも自分に勝つということは、
なかなか難しいですよね。
ケ:うん。でも大丈夫よ。なんでも出来る。
そういうことをあなたのブログで伝えてほしいよね。
自分に負けちゃいけないってことを。
必ず勝つんだっていうことを。

幾たびの修羅場を潜った方からの、
ありがたいお言葉に勇気付けられ、
「よし!僕もやるぞ!」
と強く強く思いました。
ただ何をやるのかが決まっていないので…
とりあえずパジャマを脱いで、
歯を磨くことからはじめたいと思います。
今回おじゃましたケリーさんのお店は、
横田基地関係者向けでありますが、
日本人でも購入出来ます。
気になった方はぜひ一度訪れてみてください。
【お店】『KELLY & KELLY』
【住所】東京都西多摩郡瑞穂町むさし野3-10-14
【電話】042-551-0556
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