2011.06.17 Friday
「hardyさんっていう面白い人がいるんだけど。
きの君どうよ?取材しない?」
「ぜひぜひ。よろしくお願いします」
そんな軽いノリで幕を開けた福生グラフィティ。
第一回目は夕陽のTシャツキシさんご推薦のプレイボーイ、
兼田 雅章 (Tokyohardy)さん。
なんでも岩城滉一や舘ひろしが在籍してロックバンド、
『クールス』の親衛隊を務めていたり、
横田基地の中で働いていたり、
ナルニアの裏にあった倉に住んでいたり、
かと思えば今月からスリランカに旅立つという、
謎だらけのお方なのですが…
「面白い方ならぜひともお会いしたいだす!フガフガ!」
ということで行ってまいりました。
立川の老舗ピザ屋さん(店名ど忘れ)。
一足お先に会場入りし、
おしぼりが入ったビニール袋を、
揉んだり摘んだりすること数分。
とってもダンディなお二人(hardyさんとご友人並木さん)と、
いつ何時でもぴっちり七三がお似合いのキシさんが到着。
以下はそのときの模様を、
簡潔かつ明瞭にまとめられなかったものです。
「YOKOTAは俺にとって恰好の隠れ場所」
――hardyさんは昔、横田基地の中で遊んでいた、
いや、働いていたとキシさんから伺ったのですが…
うん。でも最初に横田基地の中に入りだしたのは子供の頃。
俺こんなんだけど、昔はブラスバンドをやっていてね。
YOKOTAで行われるクリスマスの演奏会とか、
そういうので出入りするようになったの。
だから英語は勉強したわけじゃないけど、
FEN聴いたり映画観たりしてたら自然と身についていた。
音楽やっていたから英語がリズムで聴こえて、
その音程を真似するって感じだったね。
――基地の中のお仕事はどんな感じだったのですか?
ブラザーの友達と六本木行ったり、
YOKOTAの中のクラブとかで遊んだり。
だから俺、ずるいんだけどデートするときとかは、
横田のNCOクラブに彼女を連れて行くわけ。
そうすると誰にも見られないから(日本人に)。
だけど俺の仲間なんかはみんな知ってるから(笑)。
英語に俺に聞いてくるわけだよ。
「今日も違うのか?」って。
で、俺も「お前に言われたかねぇよ」なんて言ってね。
ウエイトレスの女の子もマネージャーもみんな知ってるわけ。
だからYOKOTAは俺にとって恰好の隠れ場所だったんだな。
――お、お、お仕事は?
仕事が終わってからジム行って身体鍛えたり、
あとは毎日のようにゴルフやったりしていたね。
「その前は俺、ボギーっていう名前だった」
――ところで兼田さんは、
なんでhardyと呼ばれているのですか?
一説にはハード過ぎる生活っぷりから、
その名が命名されたと言われていますが…
hardyっていうのは、
ナルニアの社長が付けたの。
その前は俺、ボギーっていう名前だったんだけど。
――ボ、ボギー!?
ナルニアの社長が、
「いや、ボギーじゃなくてhardyだな」って言うわけ。
ゴルフのボギーとバーディーをひっかけて。
それと派手ってのもあるみたい。
彼は元々コピー的なものとか、
エディターみたいなこともやっていたから。
そういうのが得意なんだよね。
「一回流されちゃってね」
――ナルニアといえば…
ナルニアの裏にあった倉に住んでいたというのは本当ですか?
本当本当。
庭を青いビニールシートで囲ってよくシャワー浴びてたよ。
キシローさん:hardyさんが倉に住んでた話で思い出すのが…
たまにいなくなるんスよね。キャンプとか行って。
キャンプ行ってたねぇ。で、一回流されちゃってね。
キシローさん:大洪水で流されちゃって。
ずーっと帰ってこなかったの。
あのときは「流されて死んじゃったんじゃねぇか」
って社長が言ってた(笑)。
みんなで結構心配してたんだよね。
ほら、携帯電話とかなかったから。
で、忘れた頃にスッっとhardyさん帰って来て。
みんなでビックリしたっていう。
「頭を後ろからボカンと殴っちゃってね」
キシローさん:クールス時代ってのは、
親衛隊みたいなことをやっていたんですか?
そうそう。ギャングっていうグループで。
キシローさん:そこに横山剣もいたんですよね?
うん。彼はそのときに、
原宿のチョッパーっていう店の店員をやっていたの。
そこで俺は彼と知り合って。
で、ツアーとかだとずーっと一緒に行ってたんだよ。
でも時代がねぇ、凄い時代だったから。
大宮とか宇都宮とか向こう行くとね、凄いんだよ。
暴走族なんだよ。みんな。
都内はさぁ暴走族とはちょっと違うんだよな。
だけどそっちの方行くとさぁ。
もう町中の暴走族が来ちゃったみたいな。
キシローさん:それは大歓迎ってことですか?
そうそう。
――す、凄そうですねぇ…
キシロー:社会問題だね。
会場を警備しに行くのが、
大体20人とか30人くらいなんだよ。
で、行ったら「こいつら平気かよ!?」とか思っちゃってさぁ。
だって向こうは何百人もいるんだから。
喧嘩する奴とか、
舞台上ろうとする奴がいるわけよ。
そうするともう引きずって、
通路の裏の方とか連れて行くんだけど…
これはちょっと危険だなぁと思ったことは何度もあったよ。
特に小田原とか。
まぁ〜楽しかったけどね。
日比谷のライブのときにちょうど地震があったんだけど、
そのとき福生の人に俺がチケット200枚くらい売ったんだよ。
それで来たわけ、日比谷に。
そしたらそこの一団だけ異様なんだよ。雰囲気が。
――さすがチーム福生ですね。
一回福生のFさんっていう人が、
「クールスに会わせろよ」って言うわけ。
で、行ったんだよ。
Fさんと俺とあと5人くらいで。
そのとき夏だったんだけど、
Fさん、刺青が全部入っているから。
そしたら店員の横山なんかブルって、
もう後ずさりしちゃってさぁ。
それで俺に横山が、
「せ、先輩なの?」って言うから、
「うん。先輩先輩」って。
そしたらますますブルっちゃって。
笑っちゃったよ。
――Fさんおそるべし。。
それで紹介してサインしてもらって。
そのときにちょうど岩城滉一がいたんだよ。
帽子を深く被ってさぁ。
それで岩城さんいるなぁとか思いながら見てたんだけど、
そしたらさぁ、福生の誰だか知らないけど、
岩城さんの頭を後ろからボカンと殴っちゃってね。
――ええええ!!??な、なぜですか!?
わかんない。なんでやったかはしらないけど。
で、俺なんかにあとから聞くわけ。
「あれ誰がやったんだ?」って。
福生の人だってのはわかっていたんだけど、
「いや〜わかんなかったんですよねぇ」とか言って、そのまま。
そうだなぁ岩城滉一の頭ボカン事件があったなぁ。
キシロー:無茶苦茶っスねぇ。福生の奴は。
奴というか、おじさんたちは。
無茶苦茶だよ(笑)。
「それを一気にグッと上げるんだよ」
――ところでこの青いTシャツの方は一体何を…
これは福生でやったパーティのときの写真なんだけど。
ここのね、じょうろを下にして、
ビールをなみなみ入れるわけ。
――ああ、なるほど。
それを一気にグッと上げるんだよ。
罰ゲーム罰ゲーム。
――これってhardyさんでは…
違う違う(笑)飲んでるのは俺の友達。
――hardyさんが福生にきたきっかけは?
気がついたときには来てたねぇ。
やっぱりビートルズだったりローリングストーンズだったり、
そういうカルチャーが福生にあったから。
それと子供の頃からいつかアメリカに行きたいと思っていたから、
そういう所もあったのかもしれないね。
――それはいつ頃のことですか?
1973年か74年。
――当時の出来事で思い出に残っていることはどんなことですか?
福生のダウンタウンなんかでね、
朝までGIが酒飲んでたんだけど。
黒人のブラザーなんかが、
赤玉のワインをしこたま飲んでいたのを凄い憶えてるなぁ。
とにかく彼らは余裕があったから、
ジェントルな感じだった。
あとは福生のオフベースが、
みんな兵隊たちのお土産屋とか、
靴のオーダーとかテーラーとかで。
テーラーだとラッキーテーラー、日米商会、ボストンテーラー、Kブラザーズ。
当時はテーラーが10軒くらいあったかな。
そこで彼らはパーティのタキシード作ったり、
あとコンポラのスーツね、
玉虫のスーツとか作ってたのをよく憶えている。
――福生の魅力はなんでしょう?
それはやっぱりタイトル通りにアメリカだよね。
あそこはやっぱり完全にアメリカだし。
あとは滑走路かな。
あの長い3500メートル級の滑走路っていうのは、
俺にとって凄い魅力だよ。
昔まだ飛行機がいっぱい飛んでいた時代に、
滑走路と併走して単車で100何十キロ出して、
一緒に走ったりね。
そんなことやって遊んでたかなぁ。
――福生といえば○○。○○にはなにが入りますか?
wayfarerかな。旅人。
この日hardyさんが持ってきてくれた、
1970年代から80年代にかけてのお写真。
ご紹介できないのはあまりももったいないので、
スライドショーにしてみました。
最後に「頑張ってね。俺も福生が好きだから」とだけ言い残し、
今月16日スリランカへと飛び立ったhardyさん。
出国直前のお忙しいときにも関わらず、
本当にありがとうございました。
またどこかでお会いできる日を楽しみにしております。
衣装協力
■SUNSET
関連リンク
■兼田 雅章さん (Tokyohardy)のFacebook
■兼田さん並木さんが運営に携わっている567 NW JAPANのFacebook
■福生トーク#04 横山剣 CRAZY KEN BAND
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