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福生グラフィティ #1 兼田 雅章さん (Tokyohardy)
福生グラフィティ #1 兼田 雅章 (Tokyohardy)

「hardyさんっていう面白い人がいるんだけど。
 きの君どうよ?取材しない?」
「ぜひぜひ。よろしくお願いします」
そんな軽いノリで幕を開けた福生グラフィティ
第一回目は夕陽のTシャツキシさんご推薦のプレイボーイ、
兼田 雅章 (Tokyohardy)さん
なんでも岩城滉一や舘ひろしが在籍してロックバンド、
『クールス』の親衛隊を務めていたり、
横田基地の中で働いていたり、
ナルニアの裏にあった倉に住んでいたり、
かと思えば今月からスリランカに旅立つという、
謎だらけのお方なのですが…
「面白い方ならぜひともお会いしたいだす!フガフガ!」
ということで行ってまいりました。
立川の老舗ピザ屋さん(店名ど忘れ)。
一足お先に会場入りし、
おしぼりが入ったビニール袋を、
揉んだり摘んだりすること数分。
とってもダンディなお二人(hardyさんとご友人並木さん)と、
いつ何時でもぴっちり七三がお似合いのキシさんが到着。
以下はそのときの模様を、
簡潔かつ明瞭にまとめられなかったものです。



福生グラフィティ #1 兼田 雅章 (Tokyohardy)

「YOKOTAは俺にとって恰好の隠れ場所」

――hardyさんは昔、横田基地の中で遊んでいた、
いや、働いていたとキシさんから伺ったのですが…

うん。でも最初に横田基地の中に入りだしたのは子供の頃。
俺こんなんだけど、昔はブラスバンドをやっていてね。
YOKOTAで行われるクリスマスの演奏会とか、
そういうので出入りするようになったの。
だから英語は勉強したわけじゃないけど、
FEN聴いたり映画観たりしてたら自然と身についていた。
音楽やっていたから英語がリズムで聴こえて、
その音程を真似するって感じだったね。




――基地の中のお仕事はどんな感じだったのですか?

ブラザーの友達と六本木行ったり、
YOKOTAの中のクラブとかで遊んだり。
だから俺、ずるいんだけどデートするときとかは、
横田のNCOクラブに彼女を連れて行くわけ。
そうすると誰にも見られないから(日本人に)。
だけど俺の仲間なんかはみんな知ってるから(笑)。
英語に俺に聞いてくるわけだよ。
「今日も違うのか?」って。
で、俺も「お前に言われたかねぇよ」なんて言ってね。
ウエイトレスの女の子もマネージャーもみんな知ってるわけ。
だからYOKOTAは俺にとって恰好の隠れ場所だったんだな。


――お、お、お仕事は?

仕事が終わってからジム行って身体鍛えたり、
あとは毎日のようにゴルフやったりしていたね。






福生グラフィティ #1 兼田 雅章 (Tokyohardy)

「その前は俺、ボギーっていう名前だった」

――ところで兼田さんは、
なんでhardyと呼ばれているのですか?
一説にはハード過ぎる生活っぷりから、
その名が命名されたと言われていますが…

hardyっていうのは、
ナルニアの社長が付けたの。
その前は俺、ボギーっていう名前だったんだけど。


――ボ、ボギー!?

ナルニアの社長が、
「いや、ボギーじゃなくてhardyだな」って言うわけ。
ゴルフのボギーとバーディーをひっかけて。
それと派手ってのもあるみたい。
彼は元々コピー的なものとか、
エディターみたいなこともやっていたから。
そういうのが得意なんだよね。




福生グラフィティ #1 兼田 雅章 (Tokyohardy)

「一回流されちゃってね」

――ナルニアといえば…
ナルニアの裏にあった倉に住んでいたというのは本当ですか?

本当本当。
庭を青いビニールシートで囲ってよくシャワー浴びてたよ。


キシローさん:hardyさんが倉に住んでた話で思い出すのが…
たまにいなくなるんスよね。キャンプとか行って。

キャンプ行ってたねぇ。で、一回流されちゃってね。

キシローさん:大洪水で流されちゃって。
ずーっと帰ってこなかったの。
あのときは「流されて死んじゃったんじゃねぇか」
って社長が言ってた(笑)。
みんなで結構心配してたんだよね。
ほら、携帯電話とかなかったから。
で、忘れた頃にスッっとhardyさん帰って来て。
みんなでビックリしたっていう。





福生グラフィティ #1 兼田 雅章 (Tokyohardy)

「頭を後ろからボカンと殴っちゃってね」

キシローさん:クールス時代ってのは、
親衛隊みたいなことをやっていたんですか?

そうそう。ギャングっていうグループで。

キシローさん:そこに横山剣もいたんですよね?

うん。彼はそのときに、
原宿のチョッパーっていう店の店員をやっていたの。
そこで俺は彼と知り合って。
で、ツアーとかだとずーっと一緒に行ってたんだよ。
でも時代がねぇ、凄い時代だったから。
大宮とか宇都宮とか向こう行くとね、凄いんだよ。
暴走族なんだよ。みんな。
都内はさぁ暴走族とはちょっと違うんだよな。
だけどそっちの方行くとさぁ。
もう町中の暴走族が来ちゃったみたいな。


キシローさん:それは大歓迎ってことですか?

そうそう。

――す、凄そうですねぇ…

キシロー:社会問題だね。

会場を警備しに行くのが、
大体20人とか30人くらいなんだよ。
で、行ったら「こいつら平気かよ!?」とか思っちゃってさぁ。
だって向こうは何百人もいるんだから。
喧嘩する奴とか、
舞台上ろうとする奴がいるわけよ。
そうするともう引きずって、
通路の裏の方とか連れて行くんだけど…
これはちょっと危険だなぁと思ったことは何度もあったよ。
特に小田原とか。
まぁ〜楽しかったけどね。


日比谷のライブのときにちょうど地震があったんだけど、
そのとき福生の人に俺がチケット200枚くらい売ったんだよ。
それで来たわけ、日比谷に。
そしたらそこの一団だけ異様なんだよ。雰囲気が。


――さすがチーム福生ですね。

一回福生のFさんっていう人が、
「クールスに会わせろよ」って言うわけ。
で、行ったんだよ。
Fさんと俺とあと5人くらいで。
そのとき夏だったんだけど、
Fさん、刺青が全部入っているから。
そしたら店員の横山なんかブルって、
もう後ずさりしちゃってさぁ。
それで俺に横山が、
「せ、先輩なの?」って言うから、
「うん。先輩先輩」って。
そしたらますますブルっちゃって。
笑っちゃったよ。


――Fさんおそるべし。。

それで紹介してサインしてもらって。
そのときにちょうど岩城滉一がいたんだよ。
帽子を深く被ってさぁ。
それで岩城さんいるなぁとか思いながら見てたんだけど、
そしたらさぁ、福生の誰だか知らないけど、
岩城さんの頭を後ろからボカンと殴っちゃってね。


――ええええ!!??な、なぜですか!?

わかんない。なんでやったかはしらないけど。
で、俺なんかにあとから聞くわけ。
「あれ誰がやったんだ?」って。
福生の人だってのはわかっていたんだけど、
「いや〜わかんなかったんですよねぇ」とか言って、そのまま。
そうだなぁ岩城滉一の頭ボカン事件があったなぁ。


キシロー:無茶苦茶っスねぇ。福生の奴は。
奴というか、おじさんたちは。

無茶苦茶だよ(笑)。





福生グラフィティ #1 兼田 雅章 (Tokyohardy)

「それを一気にグッと上げるんだよ」

――ところでこの青いTシャツの方は一体何を…

これは福生でやったパーティのときの写真なんだけど。
ここのね、じょうろを下にして、
ビールをなみなみ入れるわけ。


――ああ、なるほど。

それを一気にグッと上げるんだよ。
罰ゲーム罰ゲーム。


――これってhardyさんでは…

違う違う(笑)飲んでるのは俺の友達。





福生グラフィティ #1 兼田 雅章 (Tokyohardy)

――hardyさんが福生にきたきっかけは?

気がついたときには来てたねぇ。
やっぱりビートルズだったりローリングストーンズだったり、
そういうカルチャーが福生にあったから。
それと子供の頃からいつかアメリカに行きたいと思っていたから、
そういう所もあったのかもしれないね。


――それはいつ頃のことですか?

1973年か74年。

――当時の出来事で思い出に残っていることはどんなことですか?

福生のダウンタウンなんかでね、
朝までGIが酒飲んでたんだけど。
黒人のブラザーなんかが、
赤玉のワインをしこたま飲んでいたのを凄い憶えてるなぁ。
とにかく彼らは余裕があったから、
ジェントルな感じだった。
あとは福生のオフベースが、
みんな兵隊たちのお土産屋とか、
靴のオーダーとかテーラーとかで。
テーラーだとラッキーテーラー、日米商会、ボストンテーラー、Kブラザーズ
当時はテーラーが10軒くらいあったかな。
そこで彼らはパーティのタキシード作ったり、
あとコンポラのスーツね、
玉虫のスーツとか作ってたのをよく憶えている。


――福生の魅力はなんでしょう?

それはやっぱりタイトル通りにアメリカだよね。
あそこはやっぱり完全にアメリカだし。
あとは滑走路かな。
あの長い3500メートル級の滑走路っていうのは、
俺にとって凄い魅力だよ。
昔まだ飛行機がいっぱい飛んでいた時代に、
滑走路と併走して単車で100何十キロ出して、
一緒に走ったりね。
そんなことやって遊んでたかなぁ。


――福生といえば○○。○○にはなにが入りますか?

wayfarerかな。旅人。








この日hardyさんが持ってきてくれた、
1970年代から80年代にかけてのお写真。
ご紹介できないのはあまりももったいないので、
スライドショーにしてみました。





福生グラフィティ #1 兼田 雅章 (Tokyohardy)

最後に「頑張ってね。俺も福生が好きだから」とだけ言い残し、
今月16日スリランカへと飛び立ったhardyさん。
出国直前のお忙しいときにも関わらず、
本当にありがとうございました。
またどこかでお会いできる日を楽しみにしております。

衣装協力
SUNSET

関連リンク
兼田 雅章さん (Tokyohardy)のFacebook
兼田さん並木さんが運営に携わっている567 NW JAPANのFacebook
福生トーク#04 横山剣 CRAZY KEN BAND

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どうもありがとうございました。

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